「千の風になって」と「おくりびと」

死をめぐる社会意識に関連して、身近な近年の社会現象を2つほど取り上げてみる。1つは「千の風になって」と2つ目は映画「おくりびと」である。

1つは「千の風になって」という歌である。多くの人は知っているかと思うが、「私のお墓の前で泣いたりしないで…。私はそこには眠っていない。千の風になってあなたを見守っています」という内容の歌である。もともとはアメリカの一女性が書いた詩といわれているが、わが国では新井満という作家が訳して曲をつけたようだ。この曲は2006年のNHK紅白歌合戦で秋川雅史というテノール歌手が歌い、一挙にブレークし、人気歌謡の1つとなった。

この曲の歌詞を大雑把な主旨は、死者が千の風になって、生きている人達を見守っているという歌である。風になるのみではなく、秋日和の光、きらめく雪、鳥の声、星の光なかにも私は存在し、あなたを見守っている。そういう歌だ。

この歌の原作には「すべてのいとおしいものの中に私はいる」というフレーズがある。これは、よくいわれているが、一種のアニミズムとして捉えることができる。すべてのものの中に霊魂や精霊の存在を認めるという考え方である。アニミズムはもともと宗教のプリミティブな形だといわれているが、宗教が発展していくにつれ、合理的な教義などが形成されアニミズムは排除されていく。こうしたことから、発達した宗教はだいたい、アニミズムを否定している。それが近年、「千の風になって」という歌として広く社会意識の中に浸透していることは、1つの社会現象としておもしろいとおもう。

もう1つは「おくりびと」という映画である。これは2008年にアカデミー外国語映画賞という賞を取って、広くヒットした曲である。

主人公は若い男性で、チェロリストである。東京のオーケストラでチェロを弾いて生計を立てている。ところがオーケストラが経営不振で解散になる。仕方がないので故郷に帰り、山形県の地方都市で納棺師になるという話だ。

主人公に与えられた仕事は死者を湯灌して棺に納めることである。昔はだいたい親族がやっていた湯灌を儀式化し、代行する。そういう仕事の中、土地の人たちの偏見などとも闘いながら主人公はだんだんと成長し、納棺の儀式のなかに死者への敬意や遺された人たちの癒しを発見していく。

この映画は「千の風になって」のアニミズムに対し、リチュアリズム(儀式主義、儀礼主義)として捉えることができる。体を拭き清め、白い着物を着させ、棺の納める。この過程を非常に繊細な儀式にしているわけである。手の込んだ儀式を行うことにより、死者への敬意、遺された人たちに癒しを与える。

この儀式は特定の宗教とは関係ないとされている。映画のなかで、クリスマスに主人公がチェロを弾く場面がある。社長にいわれてチェロを弾くが、そのとき「何の曲を弾きましょうか。宗教とはあまり関係があったらよくないですが」と聞くと、社長が「いやいやそんなことはない。うちはキリスト、仏教、イスラム、ヒンズー、すべての宗教に対応しているから大丈夫だ」と答える。つまり、宗教とは関係なく、ただ納棺というリチュアル(儀式)の専門家としてやっているという訳だ。映画のなかにはお坊さんも登場するが、いわば風景として出てくるだけで、何の役割を果たしていない。

特定の宗教・宗派と無関係ということは、近代、あるいは現代の既成宗教が儀式というものを軽んじていることへの批評かもしれない。あるいは、仰々しい儀式は空疎だとや、退屈だという「近代主義」への批判が含まれているかもしれない。

とにかく、「千の風」のアニミズムにしろ、「おくりびと」のリチュアリズムにせよ、現代の制度的宗教が軽視してきたものの意味が改めて問われているというふうに考えると、死をめぐる現代の社会意識の動きとして興味深い現象であるとおもう。